Pファンクって??パーラって??ファンカって何??
Pファンクっていう言葉は、いくつか説があって、"Parliament-Funkadelic"の略語とか、"Pure Funk"とか、"Plainfield(NJ)Funk"とかいろいろあるみたいだけど、まあいいよね。ずっと前に、"The Parliaments"っていう、たばこから取った名前のdoo-wopヴォーカル・グループ5人組がいて、そこにジョージ・クリントンもいたのね。まあ、活動していて、60年代のThe Parliamentsのバックバンドが、ファンカデリックの前身なんだ。ジョージは、ニュージャージーに引っ越すまでは、ノースカロライナ(出生地)、ワシントンDCにいたそうね。Pファンクのカリスマ的存在。ちなみにファンカは、Funkに"del"を足したもの。

ここで少しファンカの話。「スライがビートルズのファンクなら、ファンカはストーンズのファンクだ」という言葉があるらしい。ジョージ、ビリー(bass)、エディー(guitar)、バーニー(key)、この4人の名前がキーワード。バーニーはすごいし、エディーは天才、ビリーは深くて、分厚いサウンドを創り出していたの。このときのファンカは「サイケデリックファンクロック」といって、ブルース+ロック+モータウンサウンド(伝説のベーシスト・ジェームス・ジェマーソン)だそうね。主にリフにメロをのっけてつくってた。

72年にビリーとエディーは金がらみでやめちゃった。ビリーに代わってはいったのが、あの、ブーツィー・コリンズ。彼は、ファンク史に残るビッグ・プレイヤーと称され、時には裏方としてバックを支え、時にはリーダーとしてバンドを引っ張っていった。ブーツィーは、JBとやっていた頃、サウンド面においてものすごく拘束されてプレイしていたの。で、パーラやファンカ、自分のバンドでは、その拘束が解けて、自由にプレイした。バリバリやったの。かれば多くの曲でドラムやギターも弾いた(ほとんどクレジットされていないが)。歌もたくさん歌っているよね。彼のテクニックとそのカリスマ性から、「ベースのジミヘン」といっても過言ではないだろう。

当時加入した人たちの話。ゲイリー(guitar)とその友達として彼が連れてきたコーデル(bass)。ゲイリーはファンカでのプレイが有名。コーデルは、ブーツィーが自分のバンドで忙しいとき(というか、ブーツィーは本当に忙しくて、パーラやファンカでは半分弱しか弾いていないのね)ばんばん弾いてたの。コーデルはビリーやブーツィーのようにド派手なプレイはさほどないが、その堅実な演奏は、一流のプレイヤーといえる。

こんななか、75年頃から始まるファンク・ムーヴメントに乗って(というか自ら創り出して)パーラ名義の「マザーシップ・コネクション」が初のゴールドディスクに。どんどん有名になっていくね、Pファンク。

それから、パーラとファンカはそれぞれ契約しているレコード会社から移籍した。ワーナーとか。このくらいから、メンバーの人間関係がぐちゃぐちゃしてくるの。「結局、ジョージがみんな金をぶんどっているんじゃないの??俺たち私たちは、ジョージの雇われにすぎないんじゃないの??」という認識が浸透していった。そのせいで怒って辞めていった人もいるんだ。

こんな風になりながらも、新たに来たノリのいいメンバーともに、すばらしい成功を収めてしまうことになる。「バップ・ガン」という曲も、このころできたって。ファンケンテレキー収録の「フラッシュ・ライト」が馬鹿売れ(77年のパーラでこれが一番売れた。)。ツアーも成功。78年は、「アクア・ブギー」が一番売れた。この曲が収録されている「モーター・ブーティー・アフィアー」は、パーラでは、否、Pファンクの中で、もっとも重要なアルバムの一つとされている(事実それなりに成功した)。ファンク度がどんどん高く、洗練されたものになってきている。

出所→マザーページ(Pファンク系統の”公式”ホームページ)から、適当に翻訳されてたものから拝借...(^^;

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